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2022年3月11日 (金)

3.11震災から11年

11年前の今日3月11日は、東日本大震災。

奇しくも、あの日と同じ金曜日。

 

私は、震災当日の午前、なぜか事務所に行きたくなくて自宅で休みをとろうとしていた。

そのとき、ヨーロッパ特許庁のオフィス・アクションがあることを覚えていて、補正案を少し進めておこうとして事務所に向かったっけ。

 

ドイツ弁理士とのやりとりを経て、補正案を作成していたら、下から突き上げる物凄い衝撃を感じ、上下に部屋が揺れていた。

まるで遊園地のアトラクションのように。

 

しばらくしてから、横揺れに変わり、またもや長時間揺れていた。

これはただ事ではないと感じ、非常階段に出て、新宿御苑に向かったら、たくさんの避難民。

 

何度か事務所に戻ろうとするも、震度5前後の余震が断続的に起こり、建物の倒壊の危険もあるため、夕方までは新宿御苑で事務所を見守った。

 

結局、夕方の5時頃に事務所に戻り、咄嗟に、ビルの各テナントさんに内線で安否確認をとっていた。

幸い、けが人がなく、ビルの倒壊も免れたので、事務所の鍵をしめて、帰路に向かった。

 

電車は当然ストップしていて、甲州街道に沿って徒歩で調布を目指した。

ビジネスシューズでは長距離を歩きにくく、途中の自転車屋にはことごとく長蛇の行列ができていた。

 

どの店も、自転車が売り切れていた。

コンビニも、パンなどの食料品と飲料が売り切れで、街はパニック状態になっていた。

 

午後6時に事務所を出て、午後9時になっても半分と少しくらいしか進んでいない。

歩道も車道も渋滞で、タクシーを拾っても、徒歩に抜かれる始末だった。

 

ようやく午後10時くらいに仙川駅に到着した。

お腹が空いていたので、たまたま営業していた、とんかつ屋で晩ご飯を食べた。

 

家族から電話をもらうが、会話ができない状態が続いた。

仙川駅のとんかつ屋で1時間くらい休憩して、結局、深夜12時頃に帰宅した。

 

今は調布から引っ越したので、確実に難民になりそうだ。

電車は、結局、月曜日まで不通で、自宅に缶詰状態だった。

 

それからしばらくたったとき、福島の原発が毎日のように爆発していった。

東京も危ないと感じ、家族で滋賀に戻った。

初期被爆を回避するために。

 

滋賀に戻っても、毎日、菅総理の顔をテレビで見るだけの日々。

しばらくして、事務所が気になりだした。

結局、2週間くらい経って、東京に戻った。

 

あのときから、11年経つ。

動画を見れば、あの当時にフラッシュバックできるが、ここ最近はまた別の脅威がニュースで賑わっている。

 

結局、人間というのは、時間が経てば、何事もなかったかのように振る舞うことができてしまう。

これなら、虫と何も変わらない。

 

ヒトって何だろうって思う。

何のために生まれてきて、何を思って、どこに向かうのか。

 

ひょっとしたら、人間がケースの中で昆虫を飼育するように、大きな力が人間を地球というケースの中で飼育しているのかもしれない。

そう思うと、人間というのは、なんだか虚しく、死に向かって進んでいく生き物に思えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

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