ジリ貧の弁理士業界は、このまま廃れるのか、それとも特効薬があるのか。
ジリ貧の定義とは、毎年、特許出願件数が減っている事実から。
弁理士にとって収益柱の特許出願件数が激減(2001年の半分以下、2010年からも出願数減少の一途)。
実用新案件数も減少したうえでずっと低迷。
意匠出願数も大改正した割には伸びていない。
商標出願は一時期急増したが、その後、減少に転じ、微小な幅で増減を繰り返しながら全体として低減している。
弁理士業界が発展する要素は2つ。
- 発明者を増やす
- 旧制度試験を復活して弁理士の数を減らす
知財の出願件数は減少傾向であり、特許は直近20年間で半減しているわけであるが、
なぜ出願件数が重要なのかというと、出願件数が調査、中間処理、審判、鑑定、訴訟、評価の件数を左右するからである。
出願件数が少ないと、当然に、調査や中間処理などの件数も少なくなる。
いま忙しいと感じる人は、過去に出願した案件がたまたま貴方の周囲に豊富にあるだけのこと。
その忙しい環境を今から弁理士業界に参入する人が味わえる保証は何もない。
だから、先ず、発明者を増やさない事には何も始まらない。
発明者を増やすためには、理系人材を増やすしかない。
あと、有能で若い弁理士が弁理士業界に参入すれば弁理士業界が発展するという意見がある。
しかしながら、有能弁理士よりも有能な発明者が先である。
いくら有能な弁理士が増えても、発明がないと意味がないからである。
腕利きのシェフがたくさんいたところで、肝心な素材がないことには料理ができないと同じ理屈。
もう一つの論点として、若い人にとっては弁理士業界はオイシイか?
答えは否。
確かに現在の弁理士の年齢層からは若い人が不足している。
だからといって、若い人が弁理士業界に入れば、幸せになるかというとそうとは限らない。
若い人が減っているのは理由があるからだ。
弁理士の相対的な優劣要素として、年齢で優位に立てても、肝心な発明がないと意味がないのである。
例えると、漁師。
平均年齢が高い漁師の世界。
若手はなぜ参入しないのか。
理由の一つは、漁師では食えなくなっているから。
漁獲高が減っているのである。
だから、若者が弁理士業界を選ぶ際には、市場、つまり出願件数を見て将来潤う業界か否かを判断しなければならない。
弁理士同士で優位にたっても、出願件数がなければ食べていけない。
出願件数の推移は特許庁のウェブサイトから見ることができる。
だから、若くて優秀な人材を弁理士業界に呼ぶためには、弁理士業界が魅力ある業界でなければならない。
そのためには、知財の出願件数を増加させるほかに手段はない。
弁理士業界が良くない状態で弁理士が若手を引き込むのは、若者の人生を考えない無責任な対応である。
もう一つ、重要な指標は、弁理士数。
当時の小泉内閣がアホな規制緩和をとったため、新制度になってから、弁理士業界がオカシクなってしまった。
新制度の試験は、司法試験と並び称された旧制度の試験から3ランク以上、難易度が下がってしまった。
その結果、何が起こったか。
見かけ高学歴が増加したが、弁理士の優秀さは学歴とは関係がない。
確実に言えることは、メンタルの強さは、弁理士業務に必要不可欠な要素となる。
SNSを観ていても、新制度の弁理士はメンタルの弱い人が多い印象を受ける。
SNSでメンタルの弱みを見せたり、愚痴を言ったり、誰かに頼ったり、twitterはストレス発散の場として暴言を吐くところと勘違いしている輩もいる。
SNSでは、自分に負けてネガティヴな発言を絶対にするな!
弁理士の世間評価が悪くなる。
こういう人は、先ずメンタルを鍛えないといけない。
我々の頃は、部活でも上下関係が厳しくあり、バットを持った教師から殴られたり、先輩からしごきをうけるのが普通な時代。
その恩恵はメンタルの強さである。
セクハラはダメだが、パワハラはメンタルの強さのために必要不可欠だと思っている。
昔、戸塚ヨットスクールが話題になったが、メンタルを強くするための教育としては悪手ではない。
弁理士の旧制度試験は、根性・体力・気力の要る試験制度であった。
あの激戦を通過した弁理士が優秀な弁理士になれるというは、間違いではない。
あと、新制度組はSNSで先輩弁理士と出会っても礼儀がない(昔でいえば、シゴキの対象である)。
旧日本軍が世界で最強と言われたのは、精神力であった。
弁理士業務も、強靭な精神力がないとやっていけず、クライアントに不利益を与えることになる。
一週間、仕事で徹夜でも、弱みを吐かず、やり切る根性がないと良い仕事なんてできない。
以上から、弁理士業界が魅力ある業界にするための特効薬は、
発明者を増やし、
旧制度試験に戻して弁理士を厳選する。
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